【追悼】靴製甲職人/フォトグラファーの康 澤民(こう さわみ)さん

かねてより病気療養を続けられていた康澤民さん(享年52歳)が、2021年3月11日の3:30に永眠されました。早すぎる旅立ちでした。

昨今の状況下を鑑み、ご葬儀はお身内の方のみにて3月12日に滞りなく済ませられました。ただお別れを伝えられなかった方も多いと思いますので、後日「康さんを偲ぶ会」も予定されております。色々な方から、在りし日の康さんの姿をお伺いしたいです。

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編集長川崎の個人的なつながりで僭越ですが、彼女は四半世紀をともに生きた業界内の最高の友人であり、どこか兄弟のようでもありました。12日に行われた家族葬の末席にも立ち会わせて頂きました。私の結婚式には彼女にスピーチをお願いもしました。

ここ数年は病気と闘いながらも、ごく一部の人にしかそれを伝えず、製甲のミシンと一眼レフとに真摯に向き合う日々を続けていました。

私が最初に彼女と出会ったのは1995年の夏。

様々なジャンルの人が集まる靴業界の納涼会で、たまたま向かいに座っていました。私はまだ店舗取材やブランドのライティングを始めたばかりで、業界の右も左もよくわからない頃。

彼女は私が初めて出会った「靴職人」でした。“会社に属せず独り立ち、それも同い年”という腕一本で仕事をこなす様を目の当たりにした時の衝撃は、今振り返っても強烈でした。確か、その衝撃をそのまま前職の情報誌で、一気呵成に記事として書き上げた記憶もあります。

私たちがこの業界に入った90年代は、20代そこそこの女性がひとり製甲職人として独り立ちするなど、とても考えられない時代だったと思います。今のようにものづくりの学校もなく、彼女は一番上手い職人の技術を、ただひたすら見て真似て腕を磨いていたと聞きました。

工房で革に刻みを入れるところを見せてもらいましたが、目にもとまらぬ革包丁さばきの速さ。「自分でも日本一早いと思ってるよ(笑)」とうそぶく康さん。でも冗談のような本気のような、今から思えばすでに彼女の技術は日本一だったかもしれません。

そしてちょうど10年ほど前の、facebookが仕事に活用されはじめた時期。

私の前職場でSNS講座が開催され、「興味ある!」というので参加してもらうことに。そこから自分でアカウントを立ち上げ、あっという間にfacebookの達人に。「これは世界とつながれるツールなんだよ」と話すと、積極的に製甲の写真を撮影しアップしていきました。

それがイタリアの靴職人の目に留まります。

facebook経由で知り合った靴職人が声をかけ、初の海外出張が叶うことに。「生まれて初めての海外がフィレンツェの靴工房なんだ。英語わからないけど何とかなるよね」と、嬉しそうに話していたのを記憶しています。そして実際なんとかなって帰ってきました。あとの活躍は皆さんの知るところでもあります。

最近では、病とうまく付き合いつつ、製甲の仕事と撮影の仕事などを手掛けていたようです。実は私たちも、HPのリニューアルを機に、2020年夏にB.A.G. Numberの二人のプロフィール写真を撮ってもらいました。思い返せば、本当に意義深い写真になりました。

At-Random by B.A.G.Number  わたしたちについて

 

また、康さんが開催されていた「マイカメラとお友達になるワークショップ」は、彼女が積極的に一眼レフカメラの面白さを伝えていた講座でした。私も一度取材のために参加して、ようやく自分の一眼レフの使い方がわかったという、いくつもの発見があった講座でもありました。

2019年8月に中目黒で開催された講座にて。

カメラの構え方がかっこよかったですね。

 

・・・ふう。やっぱりさみしいな。。

おひとりおひとりの心のなかに、康さんからもらったメッセージや、折に触れてのアドバイス、そして笑顔の数々が去来しているのではないでしょうか。

若すぎる旅立ちではありますが、私も彼女からの数知れないギフトを大切にしつつ、次の世代にも伝えていきたいと思います。

この気持ちを携えて、「偲ぶ会」でお目にかかりましょう。

合掌